学校法人化の進捗をお知らせします
学校法人化
文:岡山 真理子(京都モンテッソーリ教師養成コース委員長、学校法人設立準備会メンバー)
1979年1月に嵐山こどもの家から深草に移り、開園当初は1クラス(東組)だけで20数名の子ども達からの出発でした。付近に目立った建物もなく、山の上にポツンと建てられた深草こどもの家は、道路から見えにくい存在でした。
けれども、その存在は人伝えに伝わり、見る間に子どもの数は40名を越え、やがて西組が開かれました。さらに赤羽先生のNHKテレビの出演で南組が加わり3クラスへと園児数が増えていきました。
普通、幼稚園のクラス名は、子どもが好きで喜ぶであろう花や動物などの名前が付けられますが、建物が建っている方角そのものを子どもに示すという赤羽先生のモンテッソーリ教育の考え方がここにも表れています。
今回は、深草こどもの家の保育の特徴と行事の始まりをいくつかご紹介させていただきます。
深草こどもの家ではとても大切にしていることがあります。
「いちばん良いものを子どもたちに」
それは、嵐山こどもの家の時代からずっと大切にしてきていることでもあります。
前回紹介させていただきました通り、嵐山こどもの家から続けられている活動です。お弁当のおかずをこども達と一緒に作って食べることを思いついたのが始まりです。日常生活の中で包丁を扱い、お茶を飲んだコップを洗い、食前食後机を拭き、物を運んだり床を掃いたり…。
お料理活動は日常生活の総合活動です。献立は季節感を大切になるべく旬のものを使い、活動の中身も切る、擦る、煎る、まぜる等、様々な動きが経験できるように組まれ、後片付けまで全て子どもがします。深草に移り、献立も増え充実したお料理活動が続けられております。
深草こどもの家に来てから間もなく、七夕を迎えようとしていました。
そこで、先生方と話し合い、「ハーモニカなら吹けるかな…。リコーダーは小学校でやったよね?」と私達先生が保育室で「七夕さま」をハーモニカとリコーダーで演奏してみました。
すると、子ども達はシーンとして目を輝かせ、その素朴な音を聴いてくれたのです。それは、喜びよりも驚きでした。たった、この1曲で子ども達の目が輝いたのです。それ以降、様々な曲を聴かせてあげました。
その後、赤羽先生が保育室での合奏から、現在月に一度ホールに集まって開催される音楽会にしてくださいました。子どもに合奏させるところから始めるのではなく、まず先生達が合奏を聴かせてあげるところから始めました。「ドナウ河のさざなみ」「こきりこぶし」「カッコーワルツ」等々…。
フルート、ギター、マリンバ、打楽器も加わり子ども達から「もう1回!」とアンコールを求められたこともありました。赤羽先生の「ささら」と「アコーディオン」が印象に残っております。
次第に保護者の協力を得て、バイオリン、尺八、お琴、マンドリン、チェロ、ピアノ等の独奏や合奏が加わり弦楽四重奏も聴くことができました。
ある日、保護者のピアノ独奏を聴いていた時、私の隣に座っていた年長女児が「せんせい、なんかしらんけど涙がでてくるね」と囁きました。
生の本物の美しい音を聴かせてあげることは、子どもにどれほど深い感銘を与え、豊かな心を育んでくれることでしょう。幼児の音楽教育は生の美しい音を聴かせてあげることから始まるのです。
それ故に、深草こどもの家の音楽会は、決して音楽発表会ではなく、聴かせてあげる音楽会なのです。
この精神は現在の音楽会にも引き継がれています。
赤羽先生は、嵐山時代から「子どもは外が好きです。いつでも散歩に出かけなさい。」と言われていました。深草に移っても気候のいい時はたえず大岩神社に出かけました。その他に、バスに乗り遠出をします。春の醍醐寺(現在は北堀公園)、夏の嵐山の川(現在は鴨川)、秋の大文字登山は、子ども達が楽しみにしている場所でもあります。
いろいろな本を参考にして、台本を作成しました。私が作成した台本を赤羽先生は1ヵ所だけ修正されました。冒頭のナレーターがお話しをする部分です。
「およそ2000年ちかいむかしのことです。」を「今から2021年前のことです。」と言うように。
そういうことなのだ…。と新たな発見をした瞬間でもありました。
教師養成コースで音楽を担当して下さっている先生が、音大の学生が演じているオペレッタ(七つ星)を紹介してくださいました。ピアノ講師である保護者が、テープより譜面を起こして下さり、動きを加え、子ども達が演じることができるオペレッタとなりました。
「一番良いものを先生が選び、それを毎年続けること。」
これが赤羽先生の考えです。
深草子どもの家では、入園式はありません。
初登園してきた子ども達にとって大切なことは、これから自分が毎日生活を営む部屋で担任の先生に温かく迎えられて過ごすことです。
3歳の子どもには入園式の意味がまだわかりませんが、6歳になると卒園式の意味をしっかり理解することができます。
深草こどもの家では、「思い出の時間」と「式」の2部構成で卒園式が行われます。
思い出の時間の始まりは、後方に座られている家族の方に子ども達が「ありがとう」とお礼の言葉を述べます。その直前に「ありがとう」の意味を具体的に子どもに伝えるために、「一人ひとりの思い出」としてお話しをしていました。
「〇〇ちゃんは野菜が食べられなくてお母さんが小さく刻んでお弁当に入れてくれましたね。」
「〇〇くんは骨折した時、お母さんが毎日送ってくれたね。」
「〇〇ちゃん、こどもの家に来た時、寂しくて毎日泣いていたね。お母さんもお家で「大丈夫かな」と心配してくれてたんだよ。」と語ってあげました。
その場面を赤羽先生は「思い出の時間」として式から切り出されました。長時間ですが子ども達はお友達の小さい頃の思い出を頷きながら聴いています。このの2部構成の卒園式も引き継がれています。
卒園証書には平仮名で「あなたは、こどものいえで、よいせいかつをしました」と書かれています。
赤羽先生が子ども達にお話しされます。「あなたがたは、こどもの家に来ていっぱいやりたいことがありましたね。いっぱいやりたいことがあることをよい生活と言います。それから、あなたがたは人のしている事を邪魔してはいけない事を知りましたね。人の邪魔をしないことをよい生活と言います。」
深草子どもの家には大きな恵みがあります。それは、自然の恵みです。
深草こどもの家の歩みをいつの日も変わることなく、落ち着きと深い静けさとでその全てを見つめ、見守ってくれていたのはこの自然ではなかったでしょうか。
子ども達も日々この自然の生命に触れ、生命の美しさを吸収していく…。なんと幸せなことでしょう!
子ども達が1日を目一杯遊びこみ、自然に触れ満足しきった喜びの表情で降園していく姿。その幸せな表情は、教師の心をも幸せにしてくれるものです。
深草こどもの家は卒園生にとって「生きる源」であり、教師養成コースは卒業生にとって「子どもへの学びの原点」です。
京都地域創造基金
深草こどもの家誕生のおはなし① ―嵐山こどもの家から深草こどもの家へ
<赤羽恵子の言葉より>
こどもが毎日社会生活をする環境の重要性