春、教育産業が就学前幼児をターゲットに囲い込み
朝日新聞4月の記事によると、春、幼児をターゲットにした塾や知育、学習教室が盛んに競い合って新たな生徒を集めているといいます。教育産業の市場規模は前年度より5%増、知育市場も拡大が期待されていて、大手各社が特に力を入れているのが『幼児教育』。教育産業市場規模は2.8兆円にも上り、少子化が進んでいるが、一方で子ども一人にかけるお金が増えているのは、両親とも共働きの会社員、両親と双方の祖父母の財布を合わせて『シックスポケット』があるから。その記事に添えられていたとある企業の保育写真は、少人数で丁寧に見てもらっている印象はありますが、先生を囲んでサークル上に座るという昔と変わらないスタイル。こどもは受け身?なのか、自発的で主体的な活動が行われている場には写真からは見えませんでした。
学びや知ることは、こどもにとってとても楽しい活動であることに間違いありません。親切な先生がいて、知識豊富な先生がいて、教えてもらえることは、それは楽しい有意義な時間となるでしょう。しかし、こどもに必要なのは、そういった学びだけではありません。
子どもを集めて何かさせないと育たないのではという、現場に根強く残る不安
深草こどもの家に見学や実習にいらっしゃる他園の先生方が語る、(もうおそらく深草の創立時からよく聞く)変わらない定番のお悩みがあります。「朝から集まりがあって」「運動会の練習をたくさんするから」「いつもやらなければいけない課題がたくさんあって」だから自由にできない。そして、「自分は本当はそうしたくないのだけど、園の伝統だからやめられない。」とか、「お母さんたちが期待しているからやめられない。」とか、「先輩の先生がいるから変わらないとか。」色々なことをおっしゃって、そして決まって最後に、「深草こどもの家のこどもたちは、本当に自由で・・・うらやましいです」とおっしゃるのです。常に先生がこどもを集めて、何かしてあげないと、もしくは何かさせてないと、こどもを放ったらかしで、こどもが育たないのでは、という不安が現場ではぐるぐると渦巻いているようなのです。
深草こどもの家の4月は、当然のことながら新しく入園した年少児がいて、「おかあさーん!」と泣いているし、おしっこがでてしまって着替えたり、色々なものも片づけずに出しっぱなしでいなくなってしまったり、大変あわただしい日々を送っています。新しく大きくなった年中、年長児たちも、砂場でダイナミックに遊んで泥だらけになったり、人間関係が広がる中で喧嘩をしたり、花瓶の水をこぼして床が水浸しになってしまったり、張り切って新しいお仕事をしてみたかったり、折り紙の折り方や多面体の組み合わせがわからなくて、困っていたりします。その中に新入園児が残した”足あと”(出しっぱなしの教具など)が点在しているのですがら、教師にとってはてんてこ舞いの日々です。が、当のこどもたちはというと、一瞬一瞬を思い切り、心と身体をいっぱいに使いながら、一生懸命に過ごしています。こんなてんてこ舞いの時にこそ落ち着いて、一人ひとりに寄り添って、一人ひとりの育ちのお手伝いをすることが大切です。一人ひとりに寄り添うためには、やはりたっぷりの自由な時間が必要になります。自由な時間の中で、教師は一人ひとりに寄り添って、「一人でできる人」を増やしていくのです。また、環境が子どもたちを活動に誘うように、常に魅力的に準備する必要があります。教師はそのためにコースで学んでいるのです。
自由の中で育つ力。こどもは「育つ」
観察する。自分で考える。待つ。試す。人に教える。自分と人は違うこと。みんな違ってみんな良いこと(多様性)。大好きな人に憧れること。あこがれの人を模倣することで身についていく力。自分のことが自分で出来るようになり「自由」を得ること。好きなものを探していく中で新たに発見する喜び。このような希望を持って生きる力や平和を構築する力は子ども社会の中の、この「自由」の中で培われていきます。
こどもはこの時、自分の中心部をしっかりと成長させていきます。大人は子どもの心の周辺部には働きかけることができますが、中心部は子どもだけのもので、たとえ親であっても決して土足で踏み入るようなことをしてはいけません。
いつも誰かに指示されていたり、自由に自分で考えたりする時間がないと、この中心部が育っていかないのです。そのことの方がよほど恐ろしいことだと思いませんか?今、塾やお稽古事を多く子どもたちがする時代です。少子化の中、こどもはいつも大人たちに囲まれていませんか?だからこそ、朝から夕方まで毎日こどもたちが生活する幼稚園、保育園、こども園には「異年齢の子ども社会と」と「自由な学びの環境」が必ず必要なのです。