21.09.16

対談インタビュー

対談インタビュー 卒園生

文:曽根田聖子(深草こどもの家後援会内サポートチーム)

今回のインタビューのお相手は、深草こどもの家2005年度卒園生の石丸陽菜さん。現在大学生で、幼児教育を学ばれています。“深草こどもの家”が大好きで、将来は“深草こどもの家”でモンテッソーリ教師として子どもたちに関わりたい!と熱い思いを持たれています。

石丸さんがモンテッソーリ教師になりたいと思った原体験や、教師を志す学生としての目線で“深草こどもの家”がどのように映っているのか、様々な角度からお話を伺いたいと思います。

―まず、陽菜さんのお人柄やどのような道を進まれてきたかを教えていただけますか?

陽菜さん:幼稚園の頃は結構おっとりした性格で、マイペース。周りからワンテンポ遅れていた、と母に言われました(笑)みんなより言葉もゆっくりしていたので、周りの子達がすごくお姉ちゃんに見えていました。私はあこがれの気持ちもあって、同じ年の子に色々教えてもらいながら過ごしていました。

園では、ろうそくにマッチで火をともすお仕事が大好きで、火をつけては、蓋をかぶせて消すというのを 1 日に3、4回は繰り返していました。それはすごく記憶に残っています。

―小学校ではどのような生活をされていましたか?

陽菜さん:卒園と同時に転校して、愛媛県に引っ越しました。これまでとは全く違う環境に入ったので、「みんなで先生の指示に同じように従う」という事に自分の中ですごく驚きがありました。そういう雰囲気というのは何となく分かったのですが、「あ、みんなと一緒に先生の指示に従わなきゃいけないんだ。それが当たり前なんだ。」と知ったときに、深草こどもの家とは違う!という感覚は幼いながらにありました。それからはその雰囲気が身に付いて6年間過ごしました。

―最初はすごく衝撃的だったのですね?世の中はこんな環境だったの?と。

陽菜さん:これが当たり前なんだ!と衝撃でした。「時間通りに動きなさい」とか。私には姉がいたので、小学校はそういうものだよ、という話は聞いていたので、「こんな感じで生活していくんだ、幼稚園と小学校は違うよな」という認識で過ごしていました。そして、私はすごく音楽が好きだったので、小学3年生くらいからは金管バンド部に入部しました。

小学校でも、深草こどもの家の名残か、周りに流されることはなかったですね。おっとりながらも(笑)でも一方で私はすごく目立ちたがり屋でした。出たい出たい!と思うタイプだったので、積極的に「私リーダーやりたいです!」と前に出て言っていました。

―目立ちたがり屋の性格は、持って生まれたものだと感じますか?

陽菜さん:幼稚園の頃に、聖劇でマリア様の役をやったのですが、その時も、「私やります!」と手を挙げました。それがすごく楽しかったのもあって、前に出て自分も色々やりたいな、という気持ちが小学校でも持続していて、委員会の委員長や、部活のパートリーダーも積極的にしてきました。

―中学・高校・大学はどうでしたか?

陽菜さん:中学は吹奏楽部、高校は転校で環境も変わったので、これを機に新しいことにチャレンジしたいと思って、弓道部に入りました。中学・高校は部活に没頭していました。今は大学で幼児教育を勉強していて、数か月前から“深草こどもの家”に見学に行かせていただき、勉強させてもらっている所です。

―陽菜さんは、何故モンテッソーリ教師を目指そうと思われたのですか?

陽菜さん:幼稚園の頃からすごく“深草子どもの家”が大好きでした。毎日、今日は何しよう、明日は何しよう、と考えるのがとても楽しくて、それが今でも印象に残っているくらい。そして、先生方がすごく親身になってひとり一人に付き添ってくださっていたことがすごく心に残っていて、私の中に強いあこがれがありました。

大学で幼児教育の方に進み、実際に一般の幼稚園に実習に行ったときに、もちろん学ばせてもらうことも多かったのですが、小学校に入ったときに感じたような「みんなが先生の指示に従って絶対的に動く」「周りに合わせるのが当たり前」という環境に、すごく疑問や違和感を抱きました。自分の理想像は“深草こどもの家”だったので、自分の中の理想との違いを感じました。

モンテッソーリ教育を学ぶことで、私のこの疑問や違和感が解決されるのではないかという思いと、自分のあこがれだったモンテッソーリ教育に関われたら嬉しいなという思いで、モンテッソーリ教師を目指そうと思いました。

―陽菜さんにとって、モンテッソーリ教育や“深草こどもの家”の魅力はどのようなものですか?

陽菜さん:一番に感じるのは、一般の幼稚園にはない「独特の環境づくり」です。自然が近くにあるのもそうですし、お部屋の中の道具は全て子どものサイズに合わせてあり、大人の目線じゃなくて子どもの目線で作られているのが魅力です。

先生方も、子どもたちがやりたいことを自ら選んで熱中できるような環境づくりを徹底されています。

―一般の幼稚園なら、先生のスケジュールの中で必要な時に必要なものを出してこられますが、“深草こどもの家”は、本当に“家”のようですね。子ども達がどこに何があるかわかっているように感じます。

陽菜さん:そうです。折り紙をするにしても、何かするときには、自分で出してこないといけないので、自然と場所を覚えます。足りないものを補充するものの場所も知っているくらいです(笑)どこに何があるかは、本当に“家”の中のように子どもたちは把握しています。

そして、もう一つの魅力は、「縦割りクラス」。だいたいの他の幼稚園は、○歳児クラスという横割りです。縦割りのクラスというのは、子ども達の中で世界が作られて、年上の6歳児さんが下の子のために動いてあげるというのは、見ていて、すごいなと思います。子どもが責任感を持つようになると感じます。

―一般の幼稚園には縦割りはないのでしょうか?

陽菜さん:縦割りがあったとしても、週に1回とか、この時間だけ、というものが多いです。そのような短時間だけでなく、常に一緒に過ごしているからこそ信頼関係が作られていくものだと思います。

―陽菜さんが園児の時に、縦割りの繋がりを感じられたことはありますか?

陽菜さん:年長さんになったときに、私もお姉ちゃんになりたい!という気持ちがあり、先生のまねっこのように、私がみんなを集めて暖炉の前に座ってもらって、勝手に会を開いてみんなに絵本を読んであげたこともありました(笑)そして、年少さんと一緒にトイレに行って待ってあげたり、洋服の着替えの手伝いをしてあげたり、というのは今でも覚えています。楽しかったですね。

他の魅力としては、こんなにたくさん動物がいるところはなかなかないですね。犬、モルモット、インコ、魚・・・一般の幼稚園だと、危ないから近づいちゃダメという制約があることが多いです。噛まれたら菌が入って危ないと言われ、身近に触れ合う機会はほとんどありません。

その点、“深草こどもの家”での動物との距離感はとても近くて、それもまた素敵なところです。

―幼稚園の頃の事をそんなに覚えているというのはすごい事ですよね。

陽菜さん:小学校より中学校より、幼稚園のことを覚えています。とにかくすごく楽しかった!

―楽しさって、何から来ていたのでしょうか?

陽菜さん:やはり、自分の好きなことに熱中できる環境って家でもなかなかないですよね。家族で生活しているから、親からすれば、早く食べてほしいし、お風呂に入って欲しいし、寝てほしい。

園では、好きなことを飽きるまでできる!というのが楽しかったんじゃないかな、と思います。

―“深草こどもの家”では、「静かな時間」を作り出すことが出来ていますが、一般の幼稚園でもあるのでしょうか?

陽菜さん:一般の幼稚園では、小学校のように「静かにしないといけないから静かにしている」という子どもたちが多いように感じます。

“深草こどもの家”では、「聞かないといけない」ではなく、興味があって「なんでだろう?」と前のめりに聞いているように思います。

「怒られるからやらない」というのは、“深草こどもの家”の子ども達の頭の中には基本的にありません。自分が気になるから、興味があるからやるというものばかりな気がします。

―陽菜さんが目指したい教師像を教えていただけますか?

陽菜さん:それこそ、“深草こどもの家”の先生がすごくあこがれだったので、目指したい教師像は今いらっしゃる先生方です。

先生が前に出て何かするのではなく、子どもたちがやりたいことをしていて、つまずいた時にそっと手を差し伸べられるような先生になりたいです。つまずいた時に「先生やってー」と持ってくる子がいますが、大人は出来るので全部やってあげたいと思う気持ちもあるけど、子ども達のできるところは本人に任せ、その子の自信につながるように援助してあげたいですね。

そして、自分自身がおっとりゆったりした性格だったので、ひとり一人に寄り添ってあげられるようになりたいと思っています。けれど、ひとり一人に寄り添うって簡単に聞こえるようで、難しい。ひとり一人を理解したうえで寄り添わないと、子どもにとって悪影響、将来にかかわることもある、と思っています。そこを見極めて接したいです。

―“深草こどもの家”の先生もすごくひとり一人観察されていますね。先生が書かれていたものに、「声をかけようか、かけないでおこうか、すごく迷ったけど、ぐっと我慢して声をかけなかった。子どもが自分で解決してとても誇らしげな満足そうな顔をしているのを見て、あーーあの時声をかけなくて本当によかった!と思った。」というお話がありました。ベテランの先生でも悩まれるくらい、ひとり一人対応が違ってくる難しさがあるのでしょうね。

陽菜さん:ひとり一人をよく観察していないと、そこの援助がすごく難しいのではないかと思います。

―陽菜さんが、教師を目指すために“深草こどもの家”を見学されるようになり、先生とお話する機会も増えていると思いますが、新たに学びになったなぁと思われることはありますか?

陽菜さん:ほめすぎもしないし、否定しすぎもしない、というのが、一般の幼稚園の先生とは違うなぁと見学していて感じます。何か縫物ができたとしても、普通なら「すごーい!!(パチパチ)〇〇ちゃんできたねー! 次もこれやろうか!」となりますが、“深草こどもの家”では「できたね。これ次やってみる?」と言われます。

ほめすぎてしまうと、「期待されている事に応えないといけない」という気持ちが出てきてしまうと思います。“深草こどもの家”の先生方の接し方では、それがありません。

見学に行ったときに、子ども達が折り紙にはまっていました。作った作品と一緒にゴミもテーブルに置いている子ども達がいて、私は終わってから片づけたらいいと思って見ていました。

すると先生が、「これはこまりましたねー」と子ども達に近づいていかれました。そして、「どうしますか?」と子どもたちに聞かれました。子ども達の中で、「え?何?」と、分かっているけど知らないふりをしたいという感じで、沈黙が続きました。

先生が、紙皿を持って来られて、右と左に置き「右側にいるもの、左側にいらないものをわけたらどう?」と尋ねられました。「やりなさい、片づけなさい」というのではなく、アイデアの一環として声を掛けられていました。

子ども達も片づけは好きな行動ではないですよね。まだやりたいのに何で片付けなきゃいけないの?と。でも、このお皿に置いたらスペースが増えるかもしれない、というようなアドバイスの仕方で、子ども達のやる気の出るような声掛けをされていたので、素敵だなぁと感じました。

―普通なら、一番早くその場を綺麗にするために先生がゴミ箱をもってきて、「ゴミ箱に入れなさいー!」と言いかねないですよね。

陽菜さん:大人から見たらゴミと思ってしまう作品もあります。でもこの方法だと、これはゴミだ、これは作品だ、と自分達で分けられるので、子ども達にとってもいいですね。自分なら絶対にゴミ箱を持って行っていたかもしれない(笑)

―先生方は、1つの出来事に対してすごく丁寧ですね。

陽菜さん:対応がすごく丁寧で、素敵です♪全てにおいて、本当に独特なんです。

「片付けの時間だよー」「お弁当の時間だよー」という声掛けはありません。「当番さん時計をみてね」とだいたいおっしゃいます。時計を見ることを促すことで、子ども達自身が気付いて行動できるように声掛けをされています。

―子供の成長の目標をずっと先に置かれていますね。この場が済めばいいじゃなくて、生きていく上でどんな力が必要なのか、長い目で見られているように感じます。

―“深草こどもの家”で過ごした時間が、今の自分に影響を与えていると感じるところはありますか?

陽菜さん:「周りに流されないこと(自己決定力)」、「新たなことに挑戦できること」です。「自己決定力」は、自分の大切な分岐点で発揮されてきましたが、“深草こどもの家”で身につけたことが活かされているなと感じています。どの学校に行こうか、この学校に行って何しようか、という時に、自分のやりたいことを一番に選びたい!という気持ちが強くあり、周りの友達がいるからやるということはありませんでした。大切な時には自分で決めてきました。

―自分の歩む道を自分で決めていかれていますね!

陽菜さん:自分で決めたら絶対やり遂げたい、という気持ちも強いです。 やっているうちに、自分の中でやり切った!! と割り切りがついたら、つぎ、つぎ。

新たなことに挑戦するというのは、“深草こどもの家”での体験があったからこそかな、と思っています。周りから、新しいことに挑戦するのって怖くないの?とよく聞かれます。何でそんな集中して何かできるん?とよく聞かれたり、それが私の特徴みたいです。

―他の卒園生の方も同じ事を言われていました。新しいことに挑戦するのに垣根がなく、すっとできちゃうと。みんながみんな同じではないですが、“深草こどもの家”卒園生の1つ方向性としてはあるのかもしれませんね。

―陽菜さんの“深草こどもの家”存続への願いをお聞かせください。

陽菜さん:自分自身も思い入れのある場所ですし、他の園とは違う魅力、環境があります。これからの子どもたちにとって、大切なことが出来る場所なので、私の中でも存続はすごく願っています。

―今回は、卒園生であり、モンテッソーリ教師を目指しているという大学生陽菜さんにお話をたっぷり聞かせていただきました。陽菜さんが“深草こどもの家”でモンテッソーリ教師として活躍される日を楽しみにしています。ありがとうございました。