22.01.07

学校法人化

使命、情熱、そして行動!Mission! Passion! Action! 1 

文:長谷川美枝子(深草こどもの家主任、学校法人設立準備会メンバー)

深草こどもの家の長谷川美枝子です。学校法人設立へ向け活動する中、なぜ深草の教育を未来につなげたいと願っているのか、私の想いを書かせていただきます。今回は私が新任の教師だったころからの話になり、少し長いですがお付き合いいただけると幸いです。

 

幼稚園の仕事

子どもの頃に幼稚園の先生という仕事を想像したときに、歌うこと、絵を描くこと、何かをつくること、子どもたちとの生活が単純に自分の好きなことばかりで楽しそう!と感じていました。自分の幼稚園の先生がとても素敵だったことに加え、叔母の赤羽がドイツへ行った時の話を聞いて、「冒険もできて、外国にもたくさん友達ができるなんて、最高だな!」と思っていました。

 

その後、本当に幼稚園の先生になった私は、すぐに自分の無力さに打ちのめされます。(「とても責任のある仕事」と理解していましたが、現場に出て改めて「その子の生涯に関係する重大な責任のある仕事」であることを実感しました。)私が勤めていた園は東京のごく一般的な住宅街の中にある園でしたが、実に様々なこどもたちがいました。集まりで座っていられずに奇声をあげたり、ふらっとでていってしまう子、場面緘黙で一言も話さない子、友達との関係に悩みのある子、親との関係に悩みのある子、なんでも人の言うとおりに動く子、毎日眠いといってままごとコーナーで眠ってしまう子、発達障害があって「みんなで一緒に」という活動が苦手な子、優秀でなんでもできるけれど、自信のない子。幼稚園の中の一見健やかで楽しそうな毎日の中にも、必ずどこかで困っている子がいて、担任の私はどの子も一人ひとりよく理解して、その子の育ちを手伝いたいと願っているのですが、それぞれの困りごとが違うこと、幼児の発達だけでなく、発達障害についての正しい知識が必要なこと、本当に勉強しなければならないことがたくさんあることを、実際の現場で身に染みて感じたのです。

そして私はとても困ったときに、京都にいた叔母と母の根岸にモンテッソーリ教育を勧められました

 

モンテッソーリ教育の学び

働きながら週末に京都モンテッソーリ教師養成コースに通って勉強しました。日常生活の練習という活動があって、雑巾を絞ったり、針に糸を通して縫物をしたり、結び目を作ったり。蝶結びのやり方を知らせる方法や、手を洗う、鼻をかむ、そういった日常生活の一コマをとても丁寧にこどもに知らせる方法があることを知り、一生懸命にメモを取りました。月曜日に園に戻って「手を洗う」を集まりで見せたら、こどもたちが拍手をしました。それまで「お弁当の前には手を洗おう」とか「トイレの後は手を洗おう」と伝えるだけ、手を洗う写真がついたポスターが流し台の上に貼ってありましたが、実際にどのようにしたらこの「手」をきれいにすることが出来るのか、ということをこどもたちに伝えたことがなかったからです。「お医者さんはこんなふうにして手を洗うんだね!」年長児が言いました。発達に遅れのあった年少児の小さな女の子は「みっこせんせーみたいにあーらお!」といってモクモクと石鹸の泡を大きくしながら楽しそうに手を洗いはじめました。また言語教育で習った言葉遊びをすると、こどもたちの目がキラキラとしたのを覚えています。

赤羽惠子の言語教育

当時私が勤めていた園はモンテッソーリ教育園ではなかったので、教具はありませんでしたから、とにかく日常生活と言語教育でその精神を生かしたいと考えました。「みなさーん、ここをみてくださいねー」と全体に呼びかけるのではなく、一人ひとりに丁寧に関わる。折り紙の角と角を合わせて折る、針箱を用意して、縫いさしの仕事ができるコーナーも作りました。誰がその仕事に興味関心を持ち、熱心に取り組むかということは、やってみなければわからないことです。他のクラスの男の子がやってきて、夢中になって何枚も何枚もつくりました。その子の目がとても真剣だったことを覚えています。その子のお母さんは驚いて「この子は将来服飾関係の仕事に就くかもしれません」と大真面目におっしゃいました。

 

モンテッソーリ教育を通して、こどもたちの姿が見えてくると、こどもたちが物の仕組みを知りたいと願っているのではないかと感じるようになりました。洗濯は洗濯機がしているけれど、汚れたものを洗うとはどういうことなのか?縫うとはどういうことなのか?折るとはどういうことなのか?そうやって活動していくうちに、だんだんに仕組みがわかってくると、もっと複雑なことをやってみたくなる。知りたくなる。そうして身の回りのことを把握して理解していくと、こどもたちはどんどん自信に満ちたような顔になり、行動に変化がみられるように。子どもたちの目が生き生きと変わっていくのを感じました。

 

モンテッソーリ教育実習

職場とは関係なく自分で勉強していましたので、実習は夏休み、冬休み、春休みなどの長期休暇を利用して、幼稚園が休みの時にも運営している保育園に学びに行きました。京都コース講師だった、今は亡き富山県の山本ユミ子先生が私の恩師です。山本ユミ子先生と当時の園長先生の岡部康子先生の下で保育園のこどもたちは室内でも外でもたくましく生活していました。

こどもたちは生活力があり、朝は前の日に干した洗濯物をたたむこと、その日のお昼に使うこぼしたものを拾うための紙と食後に口をふくナプキンを切って準備することが、早く登園したこどもたちの仕事でした。雪国らしく室内での活動も充実しており、子どもたちは竹馬が得意で驚いたことを覚えています。

教具もよくしていて、掛け算板を年中の男の子がしていました。その子には小学生の兄がいて、今ちょうど学校で掛け算をならっているので、自分もやってみたいとのことでした。その子は毎日掛け算板を出してきて、九九を書いていました。あんまり毎日毎日するので、どこが楽しいのかなと見ていると、その日は9の段をしていました。赤い玉を並べて数えて「9×1は9」また赤い玉を並べて数えて「9×2は18」と書いています。そのうちに「9×5は45」といってから赤い玉を並べてかぞえ「やっぱりな」と言いました。そして「9×6は54」といってから赤い玉を又並べてかぞえ「やっぱりな」と言います。答えを丸暗記してしまったのだ!と思って「おぼえたの?」と尋ねると、その男の子は「ちがうよ、9の段は答えが一の位がだんだん減って、十の位がだんだん増えるってことをみつけたんだ」と言いました。誰から教わったわけでもなく、自分で何回もするうちに発見したのだそうです

山本ユミ子先生のご著書(2022年現在絶版)

 

危険と安全について

園庭には木登りの樹があったり、ジャンプする丸太があったり、東京の園にはないような、すこし危険に感じるものもありました。「丸太からジャンプしたり、木登りしたり、こどもたちが怪我をして、親から苦情がきませんか?」と山本先生に質問すると、山本先生は「あなたは何にもわかっていない」と言って、教えてくださいました。

子どもから危険なものを全て取ってしまうと、子どもが危険とは何かを知らないまま、
自分の能力の実際を知らないまま大きくなってしまうこと。その方がより危険であること。
安全を身に着けるためには、危険をどのように回避するかが大切であり、
また自分の実際の能力の限界も知る必要があること。

木登りであれば、どの枝が自分の体重を支えられる枝なのか見極める力、どの木であれば枝が折れにくいのか。(柿の木は冬に折れやすいなど)大人はそういう注意深く見極める力が成長するように援助しなければならない事を教えてくださいました。

山本ユミ子先生の下でのモンテッソーリ教育実習は、私の頭の中にかかっていた厚い雨雲がさーっと消えて、青空が見えてきたような、そんな体験でした。そのことを山本先生に話すと、私は深草こどもの家の赤羽先生の下でモンテッソーリ教育を教わった。まるでハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。」とお話されました。

木登りをする子どもたち (あいあい保育園(富山県)HPより)

 

当時は働きながらの学びでしたが、ディプロマ取得後に退職し、もっと広いモンテッソーリ教育の世界を求めて、私は思い切って渡独しました。

つづく

こどもが毎日社会生活をする環境の重要性
変化に富んだ園庭
人生100年時代、100年後も幸せであるための教育を目指して